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2008年度米は完売しました。ありがとうございました。

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『変わる家族 変わる食卓』

株式会社アサツーディ・ケイ 岩村暢子(勁草書房  2003 年)

この本は本当に衝撃的でした。
私が、私たちの商売を、“お米を売る”ことから“おうちでごはんを食べる文化”を普及することへ、スタンスを 180 度変えたのは、この本と出会ったことが直接のきっかけでした。

なぜお米が売れなくなったのか、なぜお米の消費量が毎年毎年下落し続けているのか、その最も説得力のある答えが、この本の中にありました。 “おうちでごはん”を作って食べることは、もはや日本の 40 代以下の世代( 1960 年以降生まれ)にとっては、大切なことでも、意味のあることでも、楽しいことでもなく、できれば効率化し、しなくてすむ状態にまでしたい、“面倒”にすぎない、 というシビアな分析が、著者たちが現代日本の家族の食卓に下した診断です。

 

お米によって育まれた日本の文化の良いところを、守り育てていこうとするなら、私どもが一番最初に、そして何よりも力をこめて、行わなければならないのは、お米の“おいしさ”や“安全性”や“健康によいこと”や“自然環境へのやさしさ”とかを説くことではなく、まず“おうちでごはん”を家族と食べることは、楽しいことだよ、というメッセージを、若い年代の方たちに送り届けることである 、私はそう痛感しました。

<内容>
マーケット調査会社 アサツーディ・ケイが、首都圏に在住する 1960 年以降に生まれた、子どもを持つ主婦を対象として実施した、家族の食卓の実態調査を元に、“おうちのごはん”の現在を定性的に分析したレポートです。

−食を軽視する時代−
“どうやら食費は削っても構わないものになってきていることが見逃せない。家庭の食生活について尋ね始めると、「食べることに関心ないですから」「食べることに興味ないですから」とためらいもなく言う主婦が珍しくなくなったのも、近年の特徴だ。”

−作るかどうかは私の気分−
“「気が向いたので、朝からマカロニサラダなんか作った」「気持ちに余裕があったので煮物を作った」・・・など、「気分」「気持ち」という言葉が頻出する。”
“「手作り志向」というよりも、「〜を手作りする私」指向と捉えたほうが正しいと見ている。なぜなら彼女たちは、手作りされた食べ物よりも、それを手作りする自分自身のイメージや気分にこだわっているからだ。その証拠に、「パンまで手作りする」と見えた主婦が、冷凍食品を多用し、いろいろな「素」がないと料理の味付けがうまくできない人だったり、「自分でバジルを栽培し、バジルオイルまで手作りする」ような主婦が、パスタソースは 100 円のレトルトと決めていたりするのは、全く珍しくないのである。”

−個々バラバラな簡便食が並ぶ食卓−
“「前の晩に一人一人の希望のおにぎりやサンドイッチを聞いて明日の休みの朝食にコンビニで購入した」「デパ地下で、夫が生春巻き。私がナスのガーリック風、子どもがコロッケと鶏のから揚げ、それぞれ好みで夕食にした」”・・・こうすると、それぞれ好みのものを食べられて、主婦はせっかくの休日に作らなくて済むし、洗い物も少ない。家族の誰もが我慢せず、譲り合わなくてよい、・・・“

−本物より「〜感」「〜っぽさ」−
“「厚揚げにめんつゆをかければ『揚げだし豆腐風』」「卵にめんつゆを入れて焼けば『ダシ巻き風』」「冷凍パイシートにケチャップとマヨネーズを塗り、具をのせてトースターで焼けば『パイ風ピザ』」など、「〜風」簡単料理は現代主婦に大人気である。・・・そう見立てることで、「気分」がアップする。・・・こだわりがあるのは、「本物の味」ではなく「あの本格料理を家に取り込んだ気分」のほうである。”

−自分に都合のいい情報だけを集める「自己愛型情報収集」−
“「狂牛病は私が注意してもどうにもならないことなので気にしないようにしている」・・・「焼肉屋が営業している以上、みんなが食べていて事故がおきたらこの店は大変なことになるだろう。だからそんなことは起きないだろうと思って食べている」・・・茹でる調理を電子レンジで代用するときは「電子レンジ調理は茹でるより栄養が逃げなくていいと本で読んだことがあるから」、米を研ぎたくないときには「地球環境の汚染が問題になっているからなるべくしない」”

−気休め・アリバイ健康志向−
“「栄養・健康」の名のもとに食卓によく出現するものは、ゴマ、シラス、バナナ、納豆、ヨーグルト、魚肉ソーセージ、ブルーベリージャム、冷奴、冷凍枝豆などで、どれも主婦の手を一切わずらわせずに「出すだけ」の食品ばかりである。それさえ出せばバランスの良くない食事でもすべてが相殺されるとでも言わんばかりに・・・それら「健康に良い」と言われるものが出されているときには、一層粗末な食事内容になっていることが多い。”

この本は、それまで定量的・数値的にしか把握されず、「変化の実態と意味」がわからなかった、日本の家族の食卓の今を、あからさまにしたため、出版当時( 2003 年)食品業界を中心に大変な評判を呼びました。
また、「家族」の機能の低下の証言として、社会学者等アカデミズムからも、高い評価をうけました。

しかし私が何よりショックを受けたのは、この調査対象になっている年代( 1960 年〜 1970 年生まれ)が、私自身の同世代だったことでした。これは他人事ではなく、まさしく私ごとなのだと、強く実感させられました。
そう、わたしの中にも、この本の主婦たちと同じような気持ちや「気分」が間違いなくあります。その「気分」こそが、「家族の食卓」の土台をどんどん掘り崩す元凶だと指摘され、わたしはグーの音もでません。

著者たちが、 1960 年生まれ以降を対象にしたのは、現実のマーケティングの世界で、 1960 年以降生まれの消費行動が、それ以上の年代とは大きく異なっていることが、実態としてあったからです。それを「食」という分野に絞って検証したのが、このレポートです。
この後著者は、“なぜ 1960 年が断層になっているのか”を追求するため、この世代の親たちをターゲットとした定性調査を行い、更に驚くべき背景探り出していきます。(『現代家族の誕生』−幻想系家族論の死−)

ずは善悪の判断を保留し、今のありのままを直視すること、見たくない事実にも目をつぶらないこと、それがこの本が私たちに要請している立ち位置に他なりません。

 

 


『食品の裏側』−みんな大好きな食品添加物−

安部司 東洋経済新報社  2006 年

食品添加物で子どもたちの舌が壊れていく!

かつて食品添加物の商社マンとして、食品の裏表を知りぬいた著者が、食品添加物の多用によって、日本人の味覚が歪められ、身体への危険が忍び寄っている現実を告発した!

<内容紹介>
“タラコをさらに加工してつくる明太子となると、味付けと保存のために、さらに多くの添加物が投入されるのです。・・・特に「化学調味料」の量ときたら、明太子以上のものはないと言われるほどです。・・・メーカーによっては、 タラコが見えなくなるくらいに、タラコの上に直接化学調味料を振りかけている ところもあったくらいです。”

 

“添加物というのは、厚生労働省がひとつひとつ毒性のテストをして、一定の基準を満たしたもののみが認可されています。だから普通に食生活を送っている限り、添加物を摂取しても問題はない、というのが国の考えです。
しかし、それは単品使用の場合においてのテストであって、 複数の添加物をいっぺんに摂取したらどうなるかという実験は十分になされていない のです。“

“業界に「プリンハム」なる用語があります。
響きは一見可愛らしいのですが、要は水を肉の中で固めたハムということです。・・・それ専用につくられた肉用ゼリー液を、豚肉のかたまりに注射器で打ち込むわけです。 100 本くらいの注射器で、肉のかたまりにいっせいにゼリーをチューと注入するのです 。一度見たら忘れられない、それはそれはすごい光景です。“

“水と油と「白い粉」でコーヒーフレッシュができる
・・・ご存知のように普通の状態では水と油は混ざりません。そこで添加物の登場です。
まず「乳化剤」を使用します。 乳化剤というのは、界面活性剤のこと 。これを入れると、あっという間に油と水が混ざって、ミルクらしく白く乳化します。
しかしこれではミルクらしいとろみがない。だから「増粘多糖類」でとろりとさせます。乳化剤も増粘多糖類も「一括表示」ですから、 何種類使われているかわかりません
仕上げは 「カラメル色素」 。ごく薄く茶色に着色することで、いかにもクリームらしい色合いになります。日持ちさせるために 「PH調整剤」 も入れます。クリームの香りの 「香料」 も入れます。“

著者は、現在私たちの食卓に並ぶ加工食品はほぼ例外なく、様々な化学添加物を大量に含んでいることを、まず私たちに例示します。
そして、それが 実は“安い”“手間要らず”“濃い味すき”という私たち消費者側の欲望によって引き起こされている ことを指摘します。

金をかけず、楽して食事をしたい消費者と、より多く売りたいメーカー側が共犯によって、大量添加物の世界を生み出しています。

その結果、私たちの舌は感覚を失い、ますます添加物を求めるようになっている、と言います。 とりわけその傾向は子どもに顕著に現れています

著者の告発は、添加物の多用によって失われている、もう一つの豊かな生活を取り戻していくこと、日本の食の未来に、再び感性豊かな世界を返していくことを願って、強い言葉で語られているように思えます。

 

 


“高橋剛の米作り”を、
未来志向の経営のあり方の一つ、として高く評価していただきました。
なんか嬉しいような、面映いような・・・

『「志企業」のすすめ』

天明茂 致知出版社

天明茂先生は、公認会計士としてキャリアを積まれた後、宮城大学事業構想学部教授に招聘された、実業の場を熟知する大学人です。

天明先生は来るべき日本社会における企業の意味についてこのように語られます。

 

“「飽食の時代」という言葉に代表されるように、私たちは二十世紀を通じて有り余るほどモノの豊かさを享受してきた。しかし、その反面で自然は失われ、心はすさみ、成人病が増加し、コミュニティーは崩壊の一途を辿っている。
豊かさを創りだしたのが企業であれば、反面で、これらの問題を引き起こしたのも企業である。この社会の歪みを正していくこと、これこそ二十一世紀における企業の責務と言えよう。“

そして、このような“社会の歪みを正していく”可能性を秘めた企業のあり方として

  • 「三層、三世代、百年住宅」を目指す北海道栗山町のユニークな住宅メーカー 「木の城たいせつ」
  • 地球環境保全消費者を育成することを使命とし、すべての販売商品をその観点から厳選して紹介する、通販雑誌「通販生活」を主宰する 「カタログハウス」
  • 無添加100%石鹸を貫き、赤字倒産の危機にもその節を曲げなかった 「シャボン玉石鹸」

等々、強い志と圧倒的個性で、知名度の高い優良企業 7 社と並んで、 「高橋剛」 が“循環型米つくりの原点に還る「高橋農法」”として紹介されているのです。

うれしいような、恥ずかしいような、でもやっぱり誇らしく思います。

天明先生がどのように評価してくれているかと言うと
“高橋さんは自然の循環を壊してきた現代農業を、江戸時代の米作りの原点に立ち返らせるべく、農業改革を進めている稀有な農業指導者である。”
“高橋さんのすごさは、取扱高の大きさや微生物利用というだけではない。米の身になった米作り、米の心を理解した米作りにすごさがある。”
“プロと言うより、名人と言ったほうがぴったりする。”

ちょっと説明しておきますと、
天明先生が高橋剛の米作りを特に高く評価しているのは、次の点です。

  1. 循環型農業であること
    高橋の農法は、オーガニック飼料だけで育てる牛の排泄物と稲わらだけの堆肥のみが土壌栄養源であり、米ぬかを醗酵させた“ぼかし肥”で土壌改良を行い、廃棄物が全く発生しない、農業サイクルの循環で完結する系(システム)になっています。

  2. 農業を通じた地域再生事業になっていること
    高橋農法によって米作りをする農家からは、全量米を自分が高額で買い取り、それをすべて自力で販売し、真室川の米のブランド価値を作り出しています。
    同時に、地域の米作り農家が多く高橋農法に取り組むことで、環境浄化が実現でき(化学肥料・農薬を使わない)、河川が東北地方第 1 位の清流に認定されるまでになっています。

  3. 日本の伝統的な農法への理解と畏敬の念があること
    高橋の自然農法は、自ら文献にあたり調べ上げた、過去の農業実践が反映されたものです。高橋が得意とする“ぼかし肥”の技術は江戸時代に遡りますし、発芽槽に雪を投げ込むなど、苗までの段階で、稲を鍛え上げる技法は、冷害の多かった東北の農業者が培った知恵です。
    高橋は中でも、明治期に大冷害の中から、寒さに強く・食味の良い“亀の尾”という品種を発見・改良した、阿部亀冶翁を尊敬し、自分たち東北の米作りの今日を築き上げた恩人として、毎年正月には、その墓前を訪れ、感謝を捧げます。

  4. 人・稲・他の生命の共存への目配りがあること
    “稲には心がある、米を作るとは稲の成長したいという気持ちを引き出すことだ、”というのが高橋剛の口癖です。人は人だけで生きているのではない、様々な生命の共生共感の中に、人間もいる、ちょっとかっこよすぎる思いも、高橋の口からでると、不思議にリアリティーをもって聞こえてきます。それはおそらく高橋がきれいごとではなく、そうでなければ本当の米作りができない、ことを身体で知っているからではないでしょうか?

 

 


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