学ぶということ一人目の師匠

僕には三人の師匠がいます。

一人目は大学時代の恩師小山貞夫先生です。
二人目は書物を通じて出会い、師について学ぶことの意味を教えてくれた内田樹先生。
三人目は今も商売と課題解決の方法を直接指導していただいている小野ゆうこ先生です。

その他若い時に影響を受けたり、苦しい時にそれを乗り越えるヒントをくれたり、
自分の抱える問題に気付かせてくれた人物や書物はたくさんありますが、
意識的に「師匠」と呼んでいるのはこのお三方です。

今回は僕がこの三人の師匠から何を学んだかを述べながら、
学ぶということについて考えてみます。

一人目の師匠小山貞夫先生

小山貞夫先生は西洋法制史の碩学です。
僕が大学で最も関心をもち、専門的に学んでいたのは
政治学なかんずく政治思想史でしたから、
小山先生は直接的な学問上の指導者ではありませんでした。

それでも僕は小山先生の講義に出席し、ゼミに参加し、懇親の席に列し、
時には先生のご自宅を訪問して、その学問への真摯な取り組みに触れました。

僕はおそらく小山先生の中に学者教育者の理想形を見出していたのだろうと思います。

その小山先生から一度だけ厳しい叱正を受けたことがあります。
僕は学生時代、大学自治活動に関わり、学部の学生自治会委員長を務めていました。
その折仙台市の市長選挙があり、大学学部の大先輩の弁護士が革新系の候補として立候補しました。
そしてその大先輩から学内で、学生や職員を対象として演説会を開かせてほしいと要請され、
学生自治会および職員組合の共催で演説会行うことを決めました。

当時学部長だった僕の政治学の指導教官はこれに賛同し、ゴーサインを出してくれました。
結局演説会は多数の学生教職員が参加し、成功裏に終了しましたが、
その後僕は小山先生に呼び出されお叱りを受けたのでした。

「大学は学問を行う場であり、
大学の自治は、様々な権力影響力から学問の自由を守るためにある。
だから政治的権力に大学への影響力を行使させないためには、
一切の政治的勢力に大学を使わせてはならない。
例え候補者が大学学部の先輩であろうと、その政治的主張が正義に基づくものであろうと、
一度学内に政治権力を迎え入れてしまったら、
他の政治権力が学内で行動することを阻止する根拠がなくなってしまう。」

それが小山先生の教えでした。

今でもその時の静かだが厳しい小山先生の言葉を思い出すことができます。
その言葉は僕の心の中で繰り返し反芻されました。
そして時間をかけて僕の判断指標になっていきました。

「自分たちの仕事が成立するための条件は身体を張って守り通さなければならない」

それは僕が初めて受け止めたプロフェッショナルの倫理でした。

 

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