学ぶということ三人目の師匠

三人目の師匠小野ゆうこ先生

三人目の小野ゆうこ先生は、稀代のファシリテーター(促進者)です。

彼女は優れたビジネスコンサルタントですが、
僕のような中小零細企業の経営者には答えを与えることはせず、
自力で情報を集め、考え、感じ、決断して行動するための
ヒントやツールを提供するに留めます。

その意味でファシリテーター(促進者)なのです。

僕はそもそも商売の現場からは遠く育ち、
長じても商売が心から好きにはなれませんでした。

行きがかり上自分で起業し、経営をするようになったが、
センスはなくやり方もノウハウも知りませんでした。
だから始めた当初から、何人かの“指導者”について学びながら、
自分たちの商売を模索というか、模倣してきました。

アマチュアに毛の生えた程度の僕が、それでも15年間会社を潰さずにこれたのは、
自分は商売の能力がなく、学び続けなければ路頭に迷う、
というきっぱりとした自己認識があったことと、
数多の口先コンサルタントの中から、本物の実力を持ち、
かつ使命感を持った指導者=師匠を選び出す人物鑑定眼?があったことかな、と思っています。

かつて僕が強い影響を受けた教育哲学者でかつ、
社会教育実践者だった林竹次先生(元宮城教育大学学長)はその著書で
「学んだことのたった一つの証は変わることである」と述べておられました。
この言葉はで今も振り返るべき言葉として生きています。

ただ「学んだ」というのはその瞬間のこととは限らない、
と思うようにもなりました。
また「学ぶ」ということも、必ずしも意識的な行為とは限らない
ということも知りました。

30年の時を経て蘇る言葉があります。
もしかしてあの時言われたのはこういうことだったのではないか、
と振り返らせてくれる言葉があります。
また意味もわからずただ頭に残っていた言葉や映像が、
後になって繰り返し記憶の扉を叩いてくることもあります。

そういうことを僕は時間をかけて学んできました。
そして今「師匠」という存在を意識したのは、
この「学び」の時間差を意識するようになったからです。

現時点の自分には及びもつかない英知を持った人がいる。
その人の語る言葉話す際の一挙手一投足を、まず可能な限り自分の中に入力しよう、
それを記憶資産として生きている限り持ち運ぼう、そうすれば自分が未知に遭遇し、
わからないことが自分を圧倒しそうな時に、必ずその言葉たちは力を発揮してくれるに違いない、
その時「師匠」は必ずやその背中を見せてくれるに違いないと。

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