会社員だった頃

大学を卒業して新卒で入った会社は某中堅ゼネコンです。

この会社で1986年から2002年まで16年間務めたことになりますね。

事務系の社員として東京支店の現場を5年間、
本社人事部門に8年間、札幌支店で建築営業を3年間担当しました。

北陸に出自を持つこのゼネコンは、おおらかで職人気質の技術者が多く、
全体的にのんびりとした社風で、大変住み心地の良い会社でした。

時代はまさにバブルへ突き進む真っ只中
年々売り上げが増え、給与が上がっていく幸せな環境でした。
そしてこの右肩上がりの幻想にどっぷり漬かり、
ゼネコンから事業者へ飛躍しようという夢を描いて
多額の不良債権を抱えたままバブル崩壊を迎えてしまいます。

本社人事部門へ移り、採用担当として働くようになったのは、
ちょうどこのバブル崩壊を挟んだ時期です。
結局人事部門での8年間の前半4年は新卒採用担当でしたが、
後半4年はリストラと人事制度改定を担う羽目になりました。

その頃は実質的には銀行管理会社になっていましたが、
100年たっても処分できないだろう、という多額の不良債権がある中で、
いかに会社の一般管理費を下げるかが焦点でした。

当然最も比率の高い職員給与がターゲットになり、
どうやって圧縮するかが人事部門に課せられた課題でした。

だから人事制度改定とは、リストラすべき対象者の選別や役職の削減、
給与テーブルの切り下げ等を実現するための評価制度、
昇給昇格制度、組織管理制度全般の一気の改訂でした。

まだ役職にも付いていない僕に、そのような大ごとが任されたのは、
誰もどうやって何から手を付けてよいかわからなかったからです。
おかげで僕は誰からも何の干渉も受けず、一人で先行企業にインタビューに行き、
弁護士や社会保険の専門家に法的な問題を繰り返し確認し、
社内のヒアリングも行って、制度改革の企画書を書き上げることができました。

そして企画書を経営者や幹部職員に説明することも
海外含めて全支店で説明会を開催することも、あらかた任されました。

その頃は自分が会社のために処方箋を書いているような
高揚した気分で毎日を送っていましたが、
それがただ彼らの掌の上で踊らされていただけだったことは、
営業部門に移ってわかりました。
もはやこの会社は自力で何かを行うことは許されないことを。

2002年3月2日、NHKの朝6時のニュースの冒頭で、
僕は自分の会社が会社更生法適用を申請して倒産したことを知りました。
その2か月後に僕は退職募集に応募し、会社と札幌の町を去りました。

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