6時間立たされた

発達障害

長女が、4歳の息子(私の孫ですね)が保育園で落ち着いて座っていられないことに、
ちょっと悩んでいます。

3月の卒園式では、式典中に歩き回られたら困るというので、
出席させてもらえなかったそうです。定期訪問してくる児童カウンセラーからも、
このままでは小学校に上がる際に特殊学級を勧められる可能性もある、と脅されたとか。
今この手の集団的行動ができない子供は「発達障害」というレッテルを貼られるそうですね。

それを聞いて私は、自分こそまさに“発達障害児”であった、と確信しました。

私は小学校に入学したときから卒業するまで、
みんなで一緒に行動することができない子どもでした。

授業中も立ち上がって歩き回ったし、珍しい生き物がいると、
朝礼集会の最中もその虫を追いかけてどこかへ行ってしまい、
担任の先生のゲンコツやビンタをくらい続けました。

学校の池の「かいぼり」(水を抜いて底さらいをしてゴミを掻い出すこと)の時は、
授業を抜け出してザリガニを探しに行き、どろの中で滑って転んで、
着替えのために家から親が呼び出されました。

3年生の遠足で横浜市の「こどもの国」(って今あるのかな?)へ行ったときは、、
やはり池で溺れかかり、びしょぬれになって(着替えの下着をもっていた)女子のパンツをはかされ、
しばらく同級生から“女の子のパンツをはいたヒラキ君”と囃されました。

そんな私の華々しい“発達障害”履歴の中でも最も輝かしい出来事は、
1時間目から6時間目が終わるまで(給食時間も含めて)6時間立たされ続けたことです。

3年生の時の男の担任は少々神経質な人物で、私のようにおっちょこちょいで、
言われたとおりにできない(やらない)何人かは、厳しい制裁のターゲットにされていました。
特に「梅干し」という制裁は左右のもみ上げのところをゲンコツで挟んでぐりぐりとする罰で、
涙が溢れるくらい痛いのです。

ある時私ともう一人の男の子みっちゃんが1時間目の授業中におしゃべりをしていて、
担任の逆鱗に触れ、「「梅干し」か外に立って反省するかどっちかを選べ。」
と言われ、即座に立って反省します。と答えました。
みっちゃんも「僕も外で反省します」と言って、二人で外の校庭に出されました。

その頃校舎が改築中だったので、私たちの教室は隣の中学校の校庭に突き出たプレハブでした。
だから私たち二人が立たされていたのは、廊下ではなく、中学校のほこりっぽい校庭だったのです。

それから延々6時間、私たちは許されることなく、中学校の校庭に立たされ続けました。

その間同級生は休み時間になると僕らをからかい続けるし、
お昼の大掃除の時間には、中学生のお姉さんたちがやってきて、
「僕たちかわいそうだね、見てたら午前中からずーっと立っているけど、そんなに悪いことしたの?」
とちょっかいに来ました。

放課後になり、同級生が帰った後、担任が私たち二人を教室に戻し、
教卓の前で「お前たちなぜこういうことになったかわかったか」と問い詰めました。
すると隣のみっちゃんは疲れとみじめさでしょうか。いきなり泣き出してしまったのです。
私はそれを見て思わず“くすっ”と笑ってしまいました。

すると担任は再び激昂して、
「ヒラキ!お前はなんてずうずうしいやつなんだ!〇〇は反省して泣いているのに、
なんでお前はへらへら笑っているのだ」とどなりつけるのです。

ここまで頑張ったのに何で泣かなくちゃいけないんだ、私は意地でも泣きませんでした。

 

中学高校大学と進めば、だんだんと集団の中にいる自分は意識され、
人より遅くとも大抵の子どもはその中で自分のポジションを見つけていきます。

早い時期からくだらないカテゴリーに分類するより、
子どもは子供の世界に放し飼いにしておけばよいと思うのですが、
そういう風に考えてしまうのは、やはり私が今でも「発達障害」だからでしょうかね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA